千切っては投げ

かつてはテキストや漫画読み、漫画描き。今はほとんど将棋です。

スキャナー・ダークリーを観た

スキャナー・ダークリー [DVD]

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近未来のアメリカ。政府が腐敗した社会には、「物質D」と呼ばれる右脳と左脳を分裂させてしまう恐ろしいドラッグが蔓延。人民の権利はことごとく踏みにじられていた。キアヌ・リーブス演じる覆面麻薬捜査官は、「物質D」の供給源を探るため、自らジャンキーとなりドラッグの世界へと深く潜入していくが、やがて捜査官の立場で、ジャンキーとしての自分を監視する事態に陥る。そして、彼の中で捜査官とジャンキーという2つの人格が分裂し始め、徐々に、しかし確実に崩壊していくのだった。

以下、たぶんネタバレ無し。
フィリップ・K・ディック原作の、実写にアニメテクスチャを貼った様な妙アニメ。あらすじが全てを物語っているような気がしないでもない。ドラッグが物語の核となるわけですが、日本に住む私としてはイマイチこのドラッグの脅威がピンとこないのと、右脳と左脳が分裂(「尻が割れた」とどう違うのか)=意識分裂というのがピンとこないので、全体的にピンとこない。物質Dを描くのか、ドラッグを描くのか、捜査官の意識分裂を描くのか、どれかに絞れば良かった・・・のかな。捜査官の意識分裂を描くなら、物質Dという「特別なドラッグ」を出してしまうと「捜査官が分裂したのって、単に物質Dのせいじゃね?」と思えてしまって感情移入というか設定移入が難しい。物質Dを描くなら、もっと物質Dならではのジャンキーのサイケな世界を前面に出すと良かった気もしますが、それはドラッグスゲーと思わせてしまって駄目か。この点、先日観たパプリカはトリップ装置(夢)のサイケ感を前に出してて良かったように思う。ドラッグを描くのであれば、、、というか、SFなのだから普通にドラッグの危険を描いてしまうとそのれはそれで微妙だからなぁ。
しかし、どうも「未来の何か(今回はドラッグ)」と「意識分裂」を描くなら、別にドラッグじゃなくても良いように思えていたら、このオチはドラッグじゃないと使えないかもとも思えますので、なんでしょうか、まぁ、何か消化不良です。
私としては、物質Dの話は最初はさりげなく出しておいて、捜査官が組織と戦う物語(+何かもうワンポント)にしておいて、後半で「実は自分が自分を追っていたのだ!ぎゃー!」みたいな展開を60分程度で描かれていたら楽しい。