千切っては投げ

かつてはテキストや漫画読み、漫画描き。今はほとんど将棋です。

物事の新旧

http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2005/10/post_788b.html#more
たけくまメモ伊藤剛という人の本の解説です。
この辺の話というのは創作、エンターテイメントはもちろんのこと、全てに適用できる話であると思いますね。①「Aという場ではαというものが主体であった」が、時代の流れか技術の流れかとにかく次第に「Aという場ではβが主体」となっていき、いつしかAはBとなり、②「Bという場ではβというものが主体である」、という事に移行・変化・流転している。①で過ごした人はなかなか②のことを考えることができないので、彼からは、「(かつてAであった)Bは、以前ほどαではない。」というように考える。それは当たり前のことなのですね。だって別物なんだもの。
例えば漫画というフォーマットで考えれば、外見上は変化がない(AはAのまま)わけですが、αはすでにβとなっているわけですから、彼らが最近のAはαじゃない(面白くない)、と思っても、それは当然ですわな。

記号的に書いてしまうと、当たり前だろ!となるでしょうけど、まぁそんなもんだと思いますね。

つまり、長々と書いてますが、漫画でもサイトでも社会でもなんでも、今が昔じゃないとか、造船業者が鉄道業者に不満を持つとか、固定電話派が携帯ユーザを憎ましく思うとか、民営化されたら郵便局員が困る(?)とか、昔のような面白いサイトが無くなったなんて、今更騒ぐ程のことじゃないじゃないの?むしろそれくらいとっくに覚悟完了してましょうよ。ということを特に言いたかったわけでもないけど、普通にそう思う。

あ、当然脱線しまくって架空の人に向かって問うてますよ。